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Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka

Title: 羹 (Atsumono)
Author: 谷崎潤一郞 (Junichiro Tanizaki)
Language: Japanese

Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka.

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羹《あつもの》

一

汽車は沼津を出てから、だんだんと海に遠ざかつて、爪先上りの裾野の高原を進んで行くらしかつた。八月の眞晝の日光が、濃い藍色に晴れた空から眞直に射下して、折々一寸二寸ぐらゐづゝ、窓枠の緣を燒附けて居た。 橘は此の暑いのに一高の小倉の制服をきちんと着込んで、乘客の疎らな二等室の片隅に腰を掛けて居た。彼の向ひ側には十七八の藝者らしい女と、其の姐《ねえ》さん株か、乃至《ないし》は待合の女將かと推測される四十近い婦人が、俥の膝懸を臀に敷いて、双方から凭れかゝるやうにしどけなく坐りながら、富士山の頂上を眺めつゝ、何かひそ〳〵と語り合つて居た。車の動搖するままに、柔かいびろうどの蒲團が馬の背の如く躍り上ると、肉附の好い藝者の體はしなやかに揉まれて、房々とした髮の毛まで、鳥が呼吸をするやうに、ふわり、ふわりと顫へて見える。 豐川稻荷へでもお參りに行つた歸りであらう。豐橋、濱松、辨天島あたりの旅館のレツテルを貼つた荷物やら土產《みやげ》やらが、椅子の下にも棚の上にも澤山載せてあつた。若い方のが、足許のお茶の土瓶を取り上げて、 「姐さん、歸るまで保《も》つでせうか。」 と云ひながら、蓋を開いて覗き込むと、 「大丈夫だとも、家へ持つて行けば屹度鳴き出すよ。」 かう云つて年寄も一緖に覗いて居る。土瓶の中には、大方|河鹿《かじか》でも入つて居るらしい。 「若しか途中で死んぢやつたら、口惜《くや》しいわね。」 と、若い女はあどけない口元で笑つて居る。 一二時間の後、国府津《こふづ》の停車場へ着いてから、東京まで密《ひそか》に自分と同乘する筈の美代子が入つて來たら、此の女逹はどんな眼つきをするだらう。さう考へると、橘は面白いやうな、恐ろしいやうな氣持がした。學生としては贅澤な二等室を選んだのも、美代子の便利を慮《おもんばか》つた爲めであるのに、かう云ふ女と乘り合はせては、却つて肩身の狹い思ひをしなければならない。あの愼ましやかな、お孃さん育ちの美代子の事だから、氣の毒な程小さくなつて、自分の側へひつそりと身を倚せかけはしないだらうか。 其の時のいぢらしい姿を想ふと、彼は又抑へ切れぬ樂しさと歡ばしさに襲はれた。六月の末、沼津へ行き掛けに箱根を訪れて、病み上げの杖に縋りながら、美代子と一緖に大涌谷を見物したのは、もう二た月ばかり前になる。一旦|生命《いのち》迄も奪《と》られようとした病ひの痕を癒やすべく、それから每日々々千本松原の汐風に體を鍛へて、面變りのする程眞黑に肥太つた現在の樣子を見せたらば、どんなに美代子は嬉しがるだらう。初戀の人と唯二人、生まれて始めて汽車旅行を試みる今日の機會に、何もそれ程世間を憚る必要はあるまい。美代子に對する自分の感情が純潔である以上、少しも疚《やま》しくない證據に、自分は殊更學校の制服を纏つたのではないか。………彼はかう度胸《どきよう》を据ゑて、勇躍するやうに窓際へ立ち上つた。 戶外《おもて》には涼しい風がぱた〳〵と鳴つて鍔《つば》の廣い麥藁帽子を飛ばさんばかりに、吹き通して居た。彼は襟頸に滲み出た汗の一時乾き切るやうな心地よさを味はひながら、窓枠に兩肘を衝いて、沿道の景色を眺め入つた。 いつの間にか汽車は御殿場近くの山麓をどん〳〵走つて居る。冲天《ちゆうてん》に輝く太陽の威力を眞向に浴びて、赭色の山肌を露《あら》はにして居る裸體の富士の、ひろ〴〵と擴げた裳裾の上には、箱庭のやうな森や人家が點々と連なつて、見て居る中に後の方へ辷つて行く。足柄箱根の山の肩が、次第々々に近く高く右の方から突出て來る。時々四角な田や畑が、前の方から線路の傍へ跳び込んで來て、忽ちいびつな菱形に歪みながら、遙かに遠く押し流される。左に見えた愛鷹山《あしたかやま》の靑い背中が、だん〳〵と富士の裏側へ駈込むやうに隱れて了ふ。 何と云ふ愉快な景色であらう。………何と云ふ愉快な日であらう。………彼は今日程此の邊の風光を美しく、面白く眺めたことはなかつた。瞳に映る山川草木が、悉く自分の仕合せな身の上を祝福して、媚《こ》び諂《へつら》つて居るかのやうに感ぜられた。戀と健康との喜びが、心《しん》の髓《ずゐ》まで浸み徹して、凡ての物を彼の眼前に輝かせてくれるのであつた。彼は戀人の容貌を見、戀人の聲を聞くのと同じやうな樂しい心地で山々の姿に見惚れ、裾野の風に耳を傾けた。 早く、一刻も早く國府津まで飛んで行きたかつた。もう何時間………もう何分………かう思つて彼は待遠しさうにポツケツトから時計を抽き出したり、焦れツたさうに足踏みをしつゝ口笛を鳴らしたりした。其の間も、急速力の汽車は絕ゆる隙なく距離を縮めて、國境の山の峽《かひ》を傳はつて居た。兩側から地勢の迫るに隨ひ、曠漠たる裾野の末は小さく狹まれて、岡や林が眼近く立並ぶやうになつた。遠くに聳えて居た一つの峰が二つに割れて、幽邃《いうすゐ》な谷を開いて迎へたり、雜草の底に囁いて居た溪流が、やがて白い泡の巌を嚙む河床を現したり、斷崖の角を曲る度每に、一つ一つ新しい山懷《やまふところ》が右に左に展けて行つた。どうかすると靑空が高く隱れて、牢獄のやうな絕壁の石垣ばかりが、つい窓際に長く長く續いた。其れが盡きると、ぱつと眼界が明るくなつて、山勢が遠く遠く退き、尾上《をのへ》の木々の繁みの中から、細い瀧がちらちらと落ちたりした。 隣の一等室のドーアを開けて、十三四のボーイが急ぎ足で入つて來た。さうして、スヰツチを捻つて室内の電燈をつけると、今度はばたりばたりと片ツ端から窓硝子を締め始めた。 「ボーイさん、トンネルなの?」 後向きに俯むいて居た若い藝者が、重さうな額を擡げて訊いた。 「えゝ、もう直きでございます。」 「さう、トンネルは幾つあつて?」 「八つございます。」 行儀よく直立して、かう答へた後、ボーイはつか〳〵と次の車室へ步み去つた。 「あゝ。」 と、輕い溜息をして、藝者はハンケチを蟀谷《こめかみ》へあてながら、倒れるやうに臥轉《ねころ》ぶと等しく、眞白な空氣枕へ銀杏返《いちやうがへ》しの頭を載せた。 間もなく、ガラガラガラと凄じい音響の底へ引き入れられると、欄間から白い烟《けむり》が朦々と舞ひ込んで、黃色い鈍い燈《ともしび》の光が、蒸し暑い部屋の中に濁り漂つた。汽車は暫く八つのトンネルを出つ入りつした。 「此のトンネルさへ越して了へば、國府津は直《すぐ》だ。」 と彼は思つた。覺えのある派手な琥珀の日傘をさしてプラツトホームに彳んで居る美代子の俤《おもかげ》が、彼にはもう見えるやうな氣持がした。 小山を過ぎてから、野と海とが再び近づき始めた。戀人の生れ故郷の相模の國、なつかしい相模の國の、はるばると續いた平原の果には、水蒸氣の濃い靄《もや》が、金色《こんじき》の光に燃えて打ち煙つて居た。ところ〴〵に波うつ丘陵の靑葉の匂や、大空の雲の勢や、紫がゝつた遠山の風情《ふぜい》まで、悉く親しみ深い相模野の景色であつた。酒匂川の鐵橋を渡る時、足の下にはさも涼しさうな水が笑つて、橋杭のぐるりに渦を卷きながら流れて行つた。其の水の注ぎ落ちる川下の濱の方には、ざぶん、ざぶんと相模灘《さがみなだ》の怒濤の崩れる音が聞えて、飛沫《しぶき》の末が灰のやうに舞ひ上つた。 汽車は次第に速力を弛めて、徐かに停車場の構内へ馳せ入つた。 「國府津。………國府津。」 二三人の驛夫がこつこつ[#「こつこつ」に傍点]と靴を鳴らして通つた後から、乘り降りの客が忙しげにプラツトホームへ下駄を引き擦つて步いて居た。箱根歸りの一隊らしい五六人の男女の群が、どや〳〵と景氣よく二等室へ跳び込むや否や、大聲で暑い暑いとこぼしながら、傍若《ばうじやく》無人《ぶじん》に扇を使つたり、ハンケチを振つたり、冗談を云ひ合つたり、忽ち車内は賑やかになつた。例の藝者も此の騷ぎにうたゝ寢の眼を覺まされて、後れ毛を搔きつゝ起き上つた。 待てども、待てども、美代子の姿は容易にブリツヂを下りて來なかつた。家《うち》の首尾が惡くて拔け出す折がなかつたのか、それとも約束した時間を思ひ違へたのであらうか。今日は此の儘會へないで、東京へ歸らなければならないのか。そんな悲しい、口惜《くちを》しい成行《なりゆき》になつたらどうであらう。此の上彼は半時たりとも、戀人の顏を見ずには暮らせさうもなかつた。汽車はもう直き動き出すのに、子供のやうに泣き喚いても美代子は遂に來てくれないのか、さう考へると、彼は胸が塞がつて、不愉快な憂ひの雲に抑へられるやうな心地がした。 構内には最早や一人の客もなかつた。漸く西に傾いた日が、たゝき[#「たゝき」に傍点]の上をぢり〳〵と氣長に燒きつけて居るばかり、折々停車場の事務室の受信器がキチキチ鳴つて、海の方から潮の香の高いそよ風が、人の心も知らず顏に、差し伸べた彼の頰を嬲《なぶ》つて通つた。 がらん、がらん、と五分鈴が響き渡つた時、橘は戶外のきらきら[#「きらきら」に傍点]した往來に、クリーム色のパラソルが胡蝶のやうにひらめいて、惶《あわたゞ》しく機内へ躍り込むのをちらり[#「ちらり」に傍点]と見た。突然彼は動悸が激しく血管を衝いて、肋骨《あばら》のあたりがひやり[#「ひやり」に傍点]とするやうな Shock を覺えた。手も足も唇も、不思議にわなわな[#「わなわな」に傍点]戰いて、五體が瘧《おこり》を病《わづら》つたやうにふるへた。 「お早く願ひます、お早く!」 けたゝましい催促の聲を浴びせかけられながら、美代子は千代田草履をぱく〳〵云はせて、橘の車室の前迄駈けて來たが、ふと氣が付いたやうに、 「あツ此處は二等なの? 買ひ直して來ようか知ら。」 かう云つて、赤い切符を帶の間から出した。 「もう時間がございませんから、其のまゝお乘りになつて宜しうございます。」 と、驛夫は後から彼の女を押し上げるやうにして扉を締めると、呼子を口に咬《くは》へてピーと吹いた。 「あゝ忙《せは》しなかつた。あたし、わざ〳〵三等の切符を買つて來たのよ。」 かう囁いた時、美代子は乘客の視線が自分に集まつて居るのを悟つて、上氣した襟のあたりを耻かしさうにポウツとさせた。うすいお納戶《なんど》の絽織《ろおり》の單衣《ひとへ》に、白つぽい紋紗《もんしや》の丸帶を締め、細い金の提灯《ちやうちん》鎖《ぐさり》を頸にかけた十七八の令孃姿に、男も女もぢろ〳〵と眄《ながしめ》を與へて、一擧一動にも眼を放さないやうであつた。 「もう少ウしで乘り遲れるところだつたね。」 かう云つた橘の聲は非常にふるへて唇のわなゝき[#「わなゝき」に傍点]が未だ止まらないらしかつた。待たされて待たされて、待たされ拔いて、散々思ひ焦《こが》れて居た氣苦勞の半分だけでも、具《つぶさ》に愬《うつた》へて見たかつたのに、咽喉がつかへて自由に舌が廻らなかつた。今日が日まで戀ひ慕つて居た女の容貌も、面と對《むか》つては白粉《おしろい》の香や髮の匂に妨げられて、却つて想像の方がハツキリするやうに感ぜられた。樂しいのか、恐ろしいのか判らないくらゐ、彼の神經は興奮して居た。美代子に對する自分の戀が、此れほど命の底深く根ざして居る事を、彼は始めて知つたのであつた。我ながら訝《いぶか》しいやうな狼狽《うろた》へた態度を、女に窺はれるのが嬉しくも恥かしくもあつた。かう云ふ場合、女は案外男よりも落ち着いて口を利くことが出來た。 「宗ちやん、もう體はすツかり[#「すツかり」に傍点]良くなつたの? また勉强を始めたら、惡くなりはしなくツて?」 二人は、乘客の視線を免れるやうに、二つの窓から頸を出して、顏を列《なら》べて居た。美代子の言葉は耳元を掠めて走る風の速さに浚《さら》はれて、かすかに後方へ消えて行つた。 「もう大丈夫だらう。」 快活に淡泊に、橘のかう答へた時、眼の前に塞がつてゐた綠樹が盡きて、陸地がだらだら[#「だらだら」に傍点]と砂濱へ下り、太い高い磯馴松《そなれまつ》の疎らな隙から海が光つた。そんな物にも、橘の心は刺戟された。 「家《うち》の工合はどうだツたい。」 と云ひながら、彼は思ひ切つて、風上の女の方へ頭を向けた。そして、煤煙に吹き附けられるのを躊躇《ためら》ふかのやうに、わざと眼瞼を伏せて、睫毛を長くした。 「別にどうもしなくツてよ。ちよいと[#「ちよいと」に傍点]大磯のお友逹の所まで行くつもりで出て來たの。………おツ母さんが汽車はいつでもあるから髮を直してお出でなさいツて云ふもんだから、斷《ことわ》る譯にも行かなくツて、あたし氣が氣ぢやなかつたわ。でも間に合つて好かつたわね。」 汽車の震動に妨げられまいと、美代子は心持ち調子を張つて、りん[#「りん」に傍点]とした聲で云つた。結《ゆ》ひ立《た》ての髮が風に煽られて、橘の顏の方へ柔かさうにふわふわ[#「ふわふわ」に傍点]と搖れて膨らんだ。いつしか血色が眞白に覺めて、唇の紅いのが殊に目立つて見える。 「それぢや東京へ行つても、今日ゆツくり出來ないんだね。」 「えゝ、新橋へ着いたら直ぐ歸るわ。かうやつて話をするのは、汽車の中だけよ。」 かうは云つたものゝ、男も女も、どんな話をしていゝか解らなかつた。二人共一緖に坐つて居るだけで十分であつた。話をする隙に、自分逹の現在の幸福をつくづく考へて、喜んで置きたかつた。 橘にせよ美代子にせよ、これまで未だお互に「愛」とか「戀」とか云ふ大膽な詞《ことば》を口にも文にも出した事はなかつた。「是非一度會ひたい。」とか、「くれぐれも體を丈夫にしてくれろ。」とか、そんな言葉に戀慕の情の萬分の一を籠めて、相思の意味が通じ合ふものゝやうに滿足して居た。さすが女は角張らぬ言ひ廻しのうちに、心の底にはツきり[#「はツきり」に傍点]と行き屆かせる優しみを持つて居たが、男には到底そんな婉曲《ゑんきよく》な眞似は出來なかつた。兎に角二人共、明かな事實を立派に意識して居て、尋常でない素振や行動を取りながら、今更其れを語り合ふ程の勇氣がなかつた。 「ほんとに宗ちやんは太つてね。もう量《めかた》だつて十二貫ぢやないでせう。」 美代子は汐風に染まつた男の手頸を眺めて、低く囁いた。 「十四貫八百目ある。」 「さう、そんなに殖えて?」 かう云つた女の眼つきには、喜びの色が溢れて見えた。 橘は、美代子の平生と打つて變つた活氣のある態度の原因を、滿更窮屈な家庭を逃げて來て、自由な戶外へ放り出された理由にばかり歸する譯には行かなかつた。女の身として、兩親を僞つてまでも一二時間の對面を樂しみに、一緖に道中をすると云ふ事が、自分に心を許して居る證據でもあり、機嫌の良い所以《ゆゑん》でもあらうと推した。

彼は小田原の美代子の家の事情を詳しく知つて居た。………美代子の父、淸助と云ふのは、商賣にかけてはなか〳〵拔け目のない代り、若い時分から放蕩の限りを盡して、二三人の妾《めかけ》もある上に多勢の子を孕《はら》ませ、其れがみんな一軒の家に同居して居た。さうして、正妻のお綱が、老い先の樂しみとするのは、正腹の娘の美代子一人であつた。 美代子が町の小學校を卒業した時、手許《てもと》から娘を放すのを拒んだが、淸助は東京の女學校へ入れると云つて聽かなかつた。 「だから女親ツて者は仕樣がない。お前のやうに下手ツ可愛がりはしないけれど、己れだつて娘は可愛いんだぜ。小田原と東京なら目と鼻の間だ、いつだツて歸つて來られるぢやないか。」 こんな理窟を云つて、遠緣の親類にあたる濱町の橘の家へ、とう〳〵美代子を預けてしまつた。其處から彼の女は虎の門へ每日通つた。其處から彼等の戀は始まつた。 相應に財產もある淸助の家督《かとく》を、誰に讓らせる積りであらうかと、お綱は始終夫の意中に惑ひ煩つた。たとへ男子にせよ、妾腹《せふふく》の者には決して家督を取らせたくはなかつた。そんな事があつたら、自分は娘を連れて分家でもするより外はない。かう云ふ意地張から、母は一層嚴しく美代子の監督に氣を配つて、東京へ出しても都會の惡風に泥《なづ》まぬやう、土曜日每に歸省を命じた。それから今年の卒業と同時に、早速國許へ引き取つて了つた。 溫厚な美代子は、東京に居ても國へ歸つても、母の身の上と自分の將來とが案じられて年中心が鬱《ふさ》いて居た。お轉婆《てんば》ぞろひ、腕白《わんぱく》ぞろひの妾腹の兄弟逹の中に交つて、世間の人に後指《うしろゆび》をさゝれまい、便りに思ふ母の期待に背くまい。さう云ふ苦勞が積り積つて、いつとなく橘などに尋ねられると、愚痴をこぼすやうになつた。 「あたしおツ母さんを此處の家へ伴れて來て了ひたいわ。」 などゝ、濱町の家の二階で、橘に訴へることがあつた。彼の女は橘に對して、戀ひ慕つて居ると云ふよりも、もう少し眞面目な、實際的な考へを抱いて居た。 橘の顏を眺めて居る時だけ、美代子は自分を仕合せだと思ひ、自分の運命を必ずしも悲觀しなかつた。せめて此の人との會談だけは、氣を惹き立てゝ、世間の若い女に負けず、晴れやかな眉をも開き、朗かな調子で應答をもしようと努めた。けれども今日のやうな人ごみ[#「ごみ」に傍点]の中に長い間膝を擦り寄せ、ろく〳〵言葉も交さずに項垂《うなだ》れて居れば、果ては矢張りいろ〳〵の心配事が胸にもつれて、自然と頭が晦《くら》くなつた。國府津で乘り合はせた瞬間の感情の高潮が、彼等を沈默の幸福の裡に包んだのも束《つか》の間《ま》であつた。程なく單調に飽きた二人は、重々しい氣分を一掃する爲めに、何か話題を捉へて見たかつたが、どんな小聲で喋舌つても隣の客に聞き取られるので、お互に一向はずま[#「はずま」に傍点]なかつた。殊に女は停る度每に、乘り降りの人の樣子をそツ[#「そツ」に傍点]と竊《ぬす》み視て、知人に遇ふのを恐れて居た。 新橋へ着くと、美代子はホツとして、病人のやうな溜息をついた。橘は赤帽に行李を託して、女と並んで改札口を出ながら、 「美代ちやん、どうしよう。………ちよいと[#「ちよいと」に傍点]何處か、靜かな處へでも行かうか。」と云つた。 「さうね。」―――と、美代子は小型の金時計の蓋をパチンと撥ねて、―――「もう五時半ね。」 「それとも内證で、濱町まで來たらどうだい。」 橘はわざと女の躊躇ふ氣色を認めないやうに、重ねて訊いた。 「いけない、いけない。」 女は下を向いて、首《かぶり》を振つて、 「………濱町へ知れても、家へ知れても惡いから、あたし此れから直ぐに歸るわ。ほんとに初めツからその積りなのよ。七時か八時までに必ず歸れツて云はれたのに、今直ぐ歸つたツて九時になるわ。」 男には女の決斷力の良いのが恨めしかつた。自分と美代子と地を換へたら、彼にはとてもそんな思ひ切りのいゝ仕打ちは、出來さうもなかつた。自分の思つて居る半分も女は自分を思つて居てはくれないのか、さう云ふ不平も挾まれた。けれども此の場合別れるなら別れるで、男は成るべく二人の幸福を傷つけるやうな言動を愼み、能ふ限り樂しい、快い感情を胸に盛上げて別れたかつた。どうしても自分は、天に感謝し、人に羨まれなければならないやうな境遇に置かれたものと信じたかつた。 「汽車の中ぢや、なんにも話が出來なかつたわね。こんな事になるくらゐなら、一層《いつそ》來ない方が宜かつたわ。」 と、美代子は瞳を潤ませて、苦しさうに口元でにツこり笑つた。男は其れでもう滿足した。 「東海道神戶行、………東海道神戶行。」 驛夫が鈴を鳴らしながら、叫んで通るのを聞くと、女は直ぐと氣を取り直して、 「それぢや此れへ乘つて行くわ。」 と、輕く頭を下げた。さうして、入場券を買ひに行かうとする橘を無理に制した。 「もうほんとに見送つて頂かなくツても澤山よ。誰かに見付かると大變だから、此處で失禮するわ。」 かう云つて、惶《あわたゞ》しく立ち去らうとしたが、再び橘の前へ足を止めて、 「宗ちやん、ほんとに妾《あたし》を忘れないでね。」 と、改札口の雜沓に揉まれながら耳打ちをした。 やがて女の姿が、長い長いプラツトホームを駈けて行つて、列車の踏み臺をひらり[#「ひらり」に傍点]と跨いで室内へ消えて了ふまで、男は其處にぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と彳んで居た。折角の手の裡の玉を奪られたやうな殘り惜しさがひしひし[#「ひしひし」に傍点]と胸に應《こた》へて、どうしたら此の戀ひしさを抑へる事が出來ようかと、彼は暫く途方に暮れた。あゝまた會へるのは何時であらう、一週間立つたら會へるか、一と月立つたら會へるか、それとも半年か一年か、再び其の日の廻つて來るのは、遠い、覺束ないことのやうに感ぜられる。賑やかな東京の街の中央《まんなか》に住みながら、朝夕一念を小田原に馳せて、取り着く島もない淋しさ辛さを、幾日繰返さなければならないのであらう。……… 彼は不承々々に赤帽から行李を受け取つて、濱町へ俥を走らせた。 「ほんとに妾を忘れないでね。」 かう云つた別れ際の言葉は、まだ彼の耳に響いて居た。其の時の美代子の輝いた眼つき、かすかな唇の戰《をのゝ》き、其れを想ひ泛べると、悲しいながらも甘い慰藉を味はされた。「ほんとに妾を忘れないでね。」―――彼は此の文句を幾度も心に繰返して、鬼の首でも取つたやうに喜んだ。 「女が本當に自分を慕つてさへ居れば、近いうちに又會ふ機會も作れるであらう。日曜あたりに、此方から小田原へ出掛けて行つても、そんなに世間で怪しみはすまい。別段がツかり[#「がツかり」に傍点]するに及ばぬ事だ。」 と彼は俥の上で考へ直した。さうして、息を深く吸つて、さも得意さうに木挽町の往來を彼方此方眺め廻した。可笑しなことには、俥がだん〳〵濱町へ近づくに隨ひ、憂鬱な先《さつき》の氣分とは全く異つた得意の情がいよいよ增して、何も知らずに自分の歸りを待つて居る兩親に對してさへ、一種の誇《プライド》を抱くやうになつた。

二

橘の家は濱町三丁目の至極閑靜な新道にあつて、小ざつぱりした格子造りの二階建ての後に黑い艷のいい土藏の壁が、漆塗のやうに光つて見えた。元は或る舊派俳優の住居であつたのを五六年前父の宗兵衞が相場《さうば》で中《あ》てた頃、兜町の方をうるさがつて、又一つには伜の勉强の爲めを思つて此處を讓り受け、每朝運動に店まで徒步で通つて居た。父と母と一人息子の宗一と、三人の家族は小間使ひに飯炊の女を置いて、不自由もない代り、格別花やかな目にも遇はずに、地味な暮しを立てて居た。 「ほんとに家《うち》あたりぢや、小間使一人あれば御飯炊《ごはんたき》なんぞ要《い》らないんだけれど、勿體《もつたい》ないことだ。」 母のお品はしよざい[#「しよざい」に傍点]なさに困つて、折々かう云つたが、相當な仲買店の主《あるじ》の本宅であつて見れば、まさかさうする譯にも行かなかつた。美代子が厄介になつて居る時分でも、お品は用事が一つ殖えて有難いと云ふ風に、先へ立つて何くれと面倒を見た。 「美代ちやん、こんな事も覺えて置くもんだよ。」 かう云つて、たま[#「たま」に傍点]には臺所の用を云ひ附けたり、來客の接待をさせたり、針仕事などを賴んだりした。美代子もお品にはよく懷《なつ》いて、「叔母さん、叔母さん」と大事にして、云ふ事を聞いた。 「あの娘はなか〳〵感心なところがある。」 と、お品は始終褒めて居た。 美代子が國へ引き取られてからのお品は、全く手持無沙汰であつた。夫と伜の着物の世話は人手を借りない上、日に三度も拭き掃除に念を入れて、其れでまだ暇があると、女中の髮を結つてやつたりする。昔は芝居道樂であつたが、此の頃はどうも頭が痛むと云つて、兜町連の切符を貰つても、大槪店の者か女中を遣つて了ふ。 「半四郞や高助が居た時分から見ると、此の節の芝居はほんと[#「ほんと」に傍点]につまらない。」 と、口癖のやうに云つた。いつであつたか、久し振に成田屋の追善劇《つゐぜんげき》へ誘はれて、歸つて來ると高麗藏《こまざう》の勸進帳を散々罵倒し、いろ〳〵と古い役者の評判をした揚句、 「さう云へば、先《せん》に染五郞と云ふ役者があつたが、彼《あれ》なんぞは屹度良くなつたらうに、今ぢやどうして居るだらうねえ。」 夫の宗兵衞も、家業柄《がげふがら》に似合はず品行方正で、實直な、義理堅い男であつた。一時芳町邊に妾を圍つて居るらしいと云ふ噂を立てられて、店の番頭だの小僧だのが、内々物好きに探索の步を進めたが、全くそんな形跡はなかつた。若い者が大好きで、 「どうだい、家へ來て一杯やらないかい。」 などゝ、時々店員を本宅へ招いては、一緖に酒を飮んで、別隔《わけへだ》てなく冗談を云ひ合つたり、碁を鬪はせたりする。附き合ひの外はめつた[#「めつた」に傍点]に茶屋入りをせず、いつも八時か九時頃迄には歸つて來て、晚飯に一本漬けさせながら、お品や宗一や女中を相手に、世間話をするのが例であつた。生來旅行を樂しみにして、たま〳〵日曜に祭日が續くと、土曜日の夜からかけて大阪、仙臺あたりへ遠走りをしたが、其れも忙しい體では、年に一度あるか無しであつた。 「己が今に歲を取つて隱居でもしたら、日本國中を旅行して步く。」 と、宗兵衞は云つて居た。 「お父《とツ》さんは、アレで若い時分にはなか〳〵道樂をしたものさ。」 と、お品は散々苦勞をさせられた昔の事を想ひ出して、宗一に話す折もあつた。今では宗兵衞は赤ら顏にでツぷり[#「でツぷり」に傍点]太つて、無骨《ぶこつ》な體格をして居るものゝ、二十前後には痩《やせ》ぎすの色の白い、役者のやうな美男で、隨分女に惚れられた方だと云ふ。 「宗ちやんも親父さん似で、好い顏だちだが、お父さんはどうして彼《あ》れどころぢやなかつたよ。」 と、小田原の美代子の母などが、よく取沙汰《とりざた》をした。 宗兵衞の放蕩と來たら一時は可なり激しかつたものと見えて、いまだに一つ話が澤山殘つて居る。宗一の祖父にあたる人の葬式の歸りに施主《せしゆ》の宗兵衞が雲隱れをして家内中の大騷ぎとなり、だん〳〵調べると當日會葬の列に連《つらな》つた贔屓《ひいき》の幇間《ほうかん》を唆《そゝの》かして押上の寺から眞直ぐに柳橋へ繰込み、茶屋の大廣間に陣取つて藝者を十何人も揚げて、ぐでん〳〵に醉拂ひながら、「すててこ」を踊つて居たなどは、最も氣拔な例である。 其の時、照降町の親戚の叔父が腹を立てゝ、 「貴樣のやうな罰《ばち》あたりは、歸つて來ないでも差支《さしつかへ》ないから、勝手に何處へでも出て失《う》せろ。」 かう云つて、怒鳴り附けると、宗兵衞は靑くなつて恐れ入り、女房の前へ頭を下げて、漸く叔父に詫《わび》を入れて貰つたさうである。 又或る時は向島の水神《すゐじん》に三四日流連した末、我が家ながらも閾が高くて内へ歸れず、據所《よんどころ》なしに「メンボクナイ、シヌ」と云ふ電報を打つたので、お品が驚いて駈け着けると、相變らず前後不覺に醉ひ倒れて、正體なく、「いやあ、いよ〳〵女房の御入來《ごじゆらい》か。」などゝ照れ隱しに蒲團の中から手ばかり出して、臥ながら踊つて居たさうである。 そんな鹽梅で親讓りの財產を遂には蕩盡《たうじん》して了つたが、お品が連れ添うてから十年目―――丁度宗兵衞の三十五の歲に始めて宗一を生んで以來、すつかり人間が改まつて、商賣を勵むやうになつた。さうして、先祖代々の質屋の店を疊んで、兜町の仲買へ番頭に住み込んでから、兎に角十五年程の間に今日の地步を占めるやうになつた。其れには勿論、お品の内助の功も與《あづか》つて力があつた。 波瀾に富んだ半生の歷史を持つ宗兵衞夫婦は、目下《もくか》のところ、唯一人息子の將來に樂しみを囑《しよく》して、平隱無事な日を送つて居た。若しも宗一が生れなかつたら彼等は今頃どうなつて居るか解らなかつた。 「是非とも此の子を、立派な者にしなければならない。」 かう思つて、宗兵衞はまだ通《かよ》ひ番頭《ばんとう》をして居る時分から、どんな工面《くめん》をしても、伜を大學までやらせる決心であつた。幸に伜は去年の春、中學を優等で卒業して、夏には首尾よく一高の一部へ入學したが、あんまり勉强の度が過ぎたのか、十一月の始めにとう〳〵肋膜《ろくまく》を病んで、茅ケ崎へ入院して了つた。成績が好ければ好いで、矢張り心配は絕えないものと、夫婦は其の當座氣が氣でなかつた。それでも宗一は運よく今年の四月に退院が出來て、人の止めるのも聞かずに六月の試驗を受け、一學期の大半と二學期を休んで居るにも拘らず、辛うじて二年へ進級させて貰つたのである。 一人息子と云へば、大抵人困らせの我儘者が多いのに、宗一は物心の付いた頃から、未だ嘗て兩親の仕打ちに不滿を抱いたことはなかつた。「さすが苦勞をしたゞけあつて、彼《あ》のくらゐ道理の解つた、行き屆いた人逹はない。」とか、「よくもあんな似合の夫婦が揃つたものだ。」とか、世間に噂をされる通り父も母も珍しく感心な、氣だての好い人々であると思つて居た。こんな結構な二た親に對して、彼は不孝をしたくも出來なかつた。 宗一が中學の五年生になつた時分から、父は全然放任主義を取つて、 「美代ちやんは人の預り物だから仕方がないが、お前はもう萬事自分勝手にやつて見るがいゝ。己逹の若い時と違つて、今の人間は立派な敎育を受けて居るのだから、馬鹿でさへなけりや、何をしたつて大丈夫だ。」 かう云つて、毫末《がうまつ》も干渉がましい眞似はしなかつた。本道樂の結果比較的多額の小遣ひを費消しようが、友逹と一緖に夜遊びをして遲くならうが、父は伜を十分に信じて疑はなかつた。此の信用だけでも、宗一は眞に感謝すべきで、後暗い行爲があつては濟まない筈であつた。 美代子と宗一とが戀をするやうになつたのも、もともと此の放任主義のお蔭であつた。若い男女を一軒の家に置きながら、宗兵衞は一向無頓着で何の心づかひもしないのみか、「宵に女を一人で出すのは惡い。」と云つて、水天宮の緣日などへ美代子の外出する折には、必ず宗一を附けてやつた。内氣な美代子は、學校朋輩の少いところから、自然宗一を賴みにして、最初は極めて罪のない交際を續けて居た。彼等が知らず識らず、自分逹の周圍へ愛情の垣根を結《ゆ》ひ繞《めぐ》らして了つた事を自覺したのは、茅ケ崎と東京と、別れ別れに日を送るやうになつてからであつた。 「己は美代子を戀して居るのではあるまいか。若しやかう云ふ狀態が、『戀』と云ふものではあるまいか。」と、宗一は南湖院の病室の寢臺に据ゑられながら、始めて容易ならぬ關係を悟つた。美代子も宗一が茅ケ崎へ行つてから、急に濱町の家が淋しく感ぜられて、動《やゝ》もすれば學校の仕事が手に就かず、ぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と考へ込むやうになつた。 「美代ちやん、此の頃はさつぱり[#「さつぱり」に傍点]元氣がないぢやないか。」 かう云つて心配してくれるお品の素振さへ、何となくあいそ[#「あいそ」に傍点]がなくて、あれほど懷しかつた「叔母さん」が、今更赤の他人のやうに恨めしくなつた。小田原へ歸省するついでに茅ケ崎を訪ねようとしても、土曜日曜には大槪|迭《かは》る迭る見舞に行く宗兵衞夫婦の思はくを兼ねて、さう足繁くも立ち寄れなかつた。 いよ〳〵宗一が退院して、試驗勉强に取りかゝる爲めに東京へ戾つて來ると、美代子は旣に女學校を卒業して、國許へ歸つて居た。それから六月の末、沼津へ行きがけに、殆んど半年ぶりで宗一が小田原を訪づれた時には、二人共もう昔のやうに無邪氣ではなかつた。一と言交はす度每に深い溜息をして、戀の炎が瞳の色に溢れ輝いて居た。 親父の寛大を好い事にして、密《ひそ》かに女と手を握る。―――世間の口に云はせたら、如何にも不都合な行爲であらう。しかし宗一としては、良心の苛責に對して、一應辯解の辭を持つて居た。萬一父に知れた時分に、彼は些かの躊躇なく、「私は美代子を戀して居ります。」と立派に答へ得るだけの、覺悟はついて居た。自分と美代子との間に、節操の純潔が保たれて居る以上、天地に恥づる所はない。唯つまらない誤解や心配を避ける爲めに、自ら進んで發表する必要がないだけである。と、さう云ふ風に考へたかつた。 新橋で美代子と別れて、二た月ぶりに家へ歸つた晚のこと、宗一は平生の無口に似ず、得々として肉の附いた兩腕を捲くりながら、兩親と一緖に夕飯の膳を圍んで、いろ〳〵の物語をした。 「どうです、大分太つたでせう。一と夏の間に二貫目も體量が殖えたんだから、此れで少しは人間らしくなつたでせう。」 かう云つて、彼はわざ〳〵喰ひかけの茶碗と箸を置いて、ぴた〳〵と胸板を叩いて見せた。 「ほんとに私も、先《さつき》見た時にさう思つたよ。もう肋骨《あばらぼね》が隱れて了つたやうぢやないか。………何しろしかし眞黑になつたもんだね。」 と、母は團扇で自分と宗兵衞とを等分に煽ぎながら、感心したやうに云つた。 「これで一時はもつと黑かつたんですよ。背中の皮なんざ、きれいに剝《む》けて了ひましたからね。」 「海水浴へ行くと、みんな、穢らしく背中の皮が剝けるものなんだね。アレで體が丈夫になるんだと云ふが、お前なんざ、全く海が利いたんだよ。―――此れからあんまり馬鹿な勉强をして、體を壞さないやうにおしなさいよ。」 母はまだ安心が出來ないと見えて、こんな事を云つた。 「宗一に比べると、己の方が餘程太つてるな。大槪な人は夏痩せをすると云ふが、己は夏になるとます〳〵太る。」 と、宗兵衞は緣側の柱に凭れて兩肌を脫ぎ、むく〳〵と膨れた腹の上の、臍《へそ》のあたりを俯向いて眺めた。さうして冷《ひや》やつこ[#「やつこ」に傍点]を肴にちびり〳〵と杯を乾して、涼しい風の吹き入れる庭先の松葉牡丹の鉢をいぢくりながら、大好きな旅行の話を始めた。 「沼津と云ふところは鰻のうまい所だな。己が五六年前に行つた時に、何でも川ツ緣の角にある鰻屋へ上つたが、田舎にしてはなかなか旨いと思つたつけ。」 「あゝ、彼處に鰻屋がありますね。あの川の橋のところは景色がいいんで、私も度々行きました。」 「沼津は海岸よりも却つてあの邊の街の方が面白いぢやないか。空が如何にも靑々として居て、まるで廣重の五十三次の繪を見るやうだ。先づ東海道では彼處邊が一番だな。」 「へえ、そんなに好い景色なの。」と、お品は夫と伜の顏を見廻して、相槌を打つたが、宗兵衞はそんな事に頓着なく、夢中になつて話を續けた。 「あの千本松原で、六代御前が賴朝の使に首を切られさうになつたのを、文覺《もんがく》上人《しやうにん》が命乞ひに駈け着けたといふんだ。あんな所で殺されたら、死ぬにしても好い氣持だらう。たしか高山樗牛と云ふ文學博士の墓も、江尻か何處かにあつたぢやないか。」 「えゝ」と云つて、宗一はちよいと意外の感に打たれた。六代は兎に角として、父が高山樗牛を知つて居るのは可笑しいと思つた。 「六代御前と云ふのは誰のこと?」 と、お品は團扇の手を止めて、宗兵衞の方を向いた。 「六代と云ふのは、平《たひらの》維盛《これもり》卿《きやう》の子供よ。義太夫の『鮓屋《すしや》』の文句にあるだらう、『内侍は高野の文覺に、六代が事賴まれよ。』ツてえの彼《あ》れのことだ。淨瑠璃《じやうるり》と云ふものも、滿更嘘は書かなかつたんだな。」 「『伊賀越』の『沼津』と云ふのも、彼處の事なんでせう。」 汽車が嫌ひで、生れてから一寸も東京の地を離れないお品は、旅行談になるといつも手持無沙汰で困る代りに、芝居の事なら一番の物識であつた。 「『伊賀越』なんぞは、ありやお前、みんな作り事に決まつて居るさ。」 かう云つて、宗兵衞は二本目の銚子を倒に搾つて、 「一膳輕くつけて貰はうか。」 と、右の手の太い指で、伏せてある茶碗の絲尻《いとじり》をつまんだ。母はお櫃を引き寄せて飯を盛りながら、 「さう云へばお前、歸りに小田原へ寄つたのかい。」 と宗一に訊いた。 「いゝえ。」 と、云つて、宗一は恐《こは》い物にでも追ひかけられるやうに身を起して、二階の書齋へ上つて行つた。 其の晚から、宗一は成る可く兩親の傍へ寄つて長話をしないやうにした。何か尋ねられると强《しひ》て機嫌の好い聲を出して快活な返答をしながら、其の癖間に一枚物が挾まつて居るやうで心から親しみ深い、馴れ〳〵しい態度にはなれなかつた。さうして、晝間は書齋で本を讀んだり、うたゝ寢をしたりして、夜になればぶらりと人形町へ散步に出掛けた。 彼は今年ぐらゐ、住み馴れた東京の夏の夜の、美しさをしみ〴〵味はつた事はなかつた。自分の生れた長谷川町蠣殻町界隈の灯の街―――殊に緣日の宵の面白さ、兩側に列ぶ商賣の家々の電燈や瓦斯のあかり[#「あかり」に傍点]と、溝に沿うて露店を廣げた緣日商人のかんてら[#「かんてら」に傍点]の光りとが、左右から步道《サイド、ウオーク》の地面を照して其の間を通る人々の頰は、みんなつやつや[#「つやつや」に傍点]と反射して輝いて居た。派手な中形の浴衣を着て、湯上りの薄化粧をした襟足をそよ[#「そよ」に傍点]風に吹かせ、手を取りながら游《およ》いで步く女の群の姿に、夜は一《ひ》と入《しほ》鮮かな、水際立つた色彩を與へて見せた。彼等はかう云ふ晚に生きる爲めに、生れて來た人間の如くあでやかであつた。宗一は其の群の中に揉まれて、一緖になつて呉服屋の硝子窓の前に立ち止まつたり、繪葉書屋の役者の寫眞を眺めたりした。 ステツキを片手にパナマ帽を被つて、白地の單衣の上へ縮緬の兵兒帶を卷き着け、古道具屋や植木屋の店先を、氣輕に冷かして廻る旦那らしい人逹もあつた。年頃の娘と連れ立つて、螢賣りの籠のほとりに彳んで居る老母もあつた。若い夫婦が唐物屋の帳場の椅子に腰を掛けて、香水の壜を買ひ求めて居ると、外に五六人の野次馬がたかつ[#「たかつ」に傍点]て、丸髷の恰好の好い細君の後つきを見惚れて居ることもあつた。至るところ煽風器と蓄音器を備へ附けた洋食屋の、煌々とした室内には、アイスクリームを貪る客が一杯で、四つ角の廣吿のイルミネーシヨンが、靑く赤く光つたり消えたりすると、其の下に澤山の子供が集まつて珍らしさうに仰いで居た。賑やかな大通を一つ曲つた、芳町住吉町の物靜かな新道には、料理屋待合が數多く續いて、緣臺に涼んで居る藝者の傍を、新内語りが流して步いたり、聲色遣ひが木を鳴らして過ぎたりした。さう云ふ有りふれた光景が、宗一には凡て新しく興味深く感ぜられた。 人形町を中心として、時には矢の倉の絹行燈を見に出かけるし、西河岸、茅場町、箱崎町あたりの緣日へ遊びに行くし、每晚必ず十二時頃まで家を明けて居た。さうして、花やかな都會の刺戟に興奮された心を抱いて、夜遲く、濱町の暗い小路を歸つて來る途中、彼はいつでも美代子の事を考へて居た。彼の頭のうちには、往來で眼に觸れた幾組かの夫婦の樣子がまざまざと殘つて居た。同じ散步をするにしても、美代子と二人で世帶を持つた後ならばどれ程愉快を覺えるであらう。自分は是非學校に精を出して、素晴らしい成績で、早く大學を卒業しなければならないと、遠い未來を胸に描いて、彼は頻りに自ら勵ました。 美代子からは、其の後二三度便りがあつた。世間の疑ひを買はないやうに、わざと端書へ「岡田美代子」と麗々しく書き記し、「暫く御無沙汰仕り候ところ、皆樣には御變りもこれなく候|哉《や》」とか、「宗ちやんにもお暇の節小田原へ御出で下され度候。」とか、差し障りのない文句が簡單に連ねてあつた。やがて其のうちに八月も暮れて、丁度小田原から四本目の端書がとどいた時は、明日から一學期の始まると云ふ九月十日の夕ぐれであつた。

三