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あめりか物語
明治三十六年の秋十月の頃より米國に遊びて今茲明治四十年
の夏七月フランスに向ひてニューヨークを去るに臨み、日頃
旅窗に書き綴りたるものを採り集めて、あめりかものがたり
と題し、謹んでわが恩師にして恩友なる小波山人巖谷先生の
机下に呈す。明治四十年十一月里昻にて永井荷風。
船房夜話
何處《いづこ》にしても陸を見る事の出來ない航海は、殆ど堪へ難い程無聊《ぶれう》に苦しめられるものであるが、橫濱から亞米利加《あめりか》の新開地シアトルの港へ通ふ航海、此れもその一ツであらう。 出帆した日、故國の山影に別れたなら、船客は彼岸の大陸に逹する其の日まで、半月あまりの間、一ツの島、一ツの山をも見る事は出來ない。昨日も海、今日も海―――何時見ても變らぬ太平洋の眺望《ながめ》と云ふのは唯だ茫漠として、大きな波浪《なみ》の起伏する邊に翼の長い嘴《くちばし》の曲つた灰色の信天翁《あはうどり》の飛び廻つてゐるばかりである。その上にも天氣は次第に北の方へと進むに連れて心地よく晴れ渡る事は稀になり、まづ每日のやうに空は暗澹たる鼠色の雲に蔽ひ盡さるゝのみか動《やゝ》もすれば雨か又は霧になつて了ふ。 私は圖らずも此淋しい海の上の旅人になつた。そして早くも十日ばかりの日數を送り得た處である。晝間ならば甲板で環投《わなげ》の遊び、若しくは喫煙室で骨牌《かるた》を取りなぞして、どうか斯うか時間を消費する事が出來るけれど、さて晚餐の食卓《テーブル》を離れてからの夜になると、殆ど爲す事が無くなつて了ふ。且つ今日あたりは餘程氣候も寒くなつて來たやうだ。外套なしではとても甲板を步いて喫煙室へも行かれまいと思ふ所から、私は其の儘|船房《キヤビン》に閉じ籠つて、日本から持つて來た雜誌でも開かうかと思つて居ると、其の時室の戶を指先でコト〳〵と輕く叩くものがある。 「お這入んなさい。」と私は半身を起しながら呼掛けた。 戶が開いて、「どうした。又少し動くやうぢや無いか。弱つとるのかね。」 「寒いから引込んで了つた。まア掛け給へ。」と云ふと、 「全く寒いな。アラスカの沖を通るんだと云ふからな。」と餘り濃くない髯を生やした口許に微笑を浮べながら、長椅子《ソフワー》の片隅へ腰を下したのは柳田君と云つて航海中懇意になつた紳士である。 中肉中丈、年は三十を一ツ二ツも越して居るらしい。縞地《しまぢ》の背廣の上に褐色《ちやいろ》の外套を纏ひ、高い襟《カラー》の間からは華美《はで》な色の襟飾《ネキタイ》を見せて居る。何處となく氣取つた樣子で膝の上に片脚を載せ、指輪を穿めた小指の先で葉卷《シガー》の灰を拂ひ落しながら、 「日本なら今頃は隨分好い時候なんだがな…………。」 「さう、全くだよ。」 「何か思ひ出す事でもありやしないかね。」 「はゝは。其ア君お隣りの先生へ云ふ事だ。」 「うむ。お隣りの先生と云へば如何して居る。又例の如く引込んで居るんだらう。呼んで見やうぢや無いか。」 「よからう。」と私は壁をトン〳〵と二三度叩いて見た。少時《しばらく》は答へが無かつたが、軈て隣りの船房に居る岸本君と云ふのが、私の船室の戶口へ顏を出した。 「ハロオ、カムイン。」とハイカラの柳田君は早速氣取つた發音で呼掛けると、 「有難う。此樣風をして居るですから………。」と岸本君は其の儘佇立んで居る。 「さ、這入り給へ。」と私は長椅子から立つて立掛けてある疊椅子を廣げた。 岸本君と云ふのは矢張三十近くの稍|身丈《せい》の低い男で、紬の袷とフランネルの一重を重着《かさねぎ》した上に大島の羽織を被つて居る。 「ぢや、失禮します。」と鳥渡腰を屈めて椅子に坐りながら、「洋服はどうも寒くて不可んですから、寢衣《ねまき》で寢やうかと思つて居たです。」 すると柳田君は、岸本君の顏を見ながら、 「洋服は寒いですか。」と如何にも不審だと云ふ語調で、「私なんぞは、然うすると全く反對ですね。增して此樣航海中なんか日本服を着やうものなら、襟首が寒くて忽ち風邪を引いて了ふです。」 「さうですかなア。其れぢやア、私は未だ洋服に慣れ無いんですな。」 「柳田君、君は飮《いけ》る口なんだから、どうです、命じませうか。」 「いや、今夜は餘り欲しくは無いです。唯だ退屈だから談話《はなし》に遣つて來たです。」 「だから、話をするには矢張《やつぱり》コツプが無いと面白くないでせう。」と私は鈴《ベル》を押しながら、「又例の氣焰を聞かうぢやありませんか。ねえ、岸本君。」 然し岸本君は返事をせず傾けた顏を起して、「又、大分動いてゐる樣ですね。」 「君。何にしても太平洋だよ。」と柳田君は再び薄い髯《ひげ》を拈《ひね》つた。ボーイが戶を開ける。 「柳田君、君は例の如くウヰスキーですか。」 「勿論《オフコース》」と云ふ返事を聞いてボーイは靜に戶を閉めて立去つたが、其の時吠るやうな太い汽笛の響に續いて、甲板へ打上げる波の音がした。 「成程、少し動搖するね。まア可いさ。今夜は一ツ愉快な雜談會を催したいもんだな。」と柳田君は安樂さうに足を踏み伸したが、和服の岸本君は明い電氣燈の輝《ひか》つて居る室の天井を見廻しながら、 「どうしたんです。非常に汽笛を鳴らずぢやありませんか。」 「霧が深いからでせう。」と柳田君が說明し掛けた時ボーイは命じた酒類を盆にのせて持運んで來た。そしてベツドの傍の小いテーブルの上に置きコツプへついだ後再び室を出て行く。 「グツドラツク。」と柳田君が第一にコツプをさゝげたので、私等も同じやうに笑ひながらグツドラツクを繰返した。 何時になつたのか遙に時間を知らせる淋しい鐘の音が聞える。波は折から次第に高まり行くと見え、今はベツドの上の丸い船窓へ凄じく打寄せる響がすると、甲板の方に當つて高い檣《ほばしら》を掠める風の音が、丁度東京で云ふ二月のカラ風を聞くやうで、其れに連れては何處とも知らずギイ〳〵と何か物の輾《きし》む響も聞え始めた。然し私等は最早や航海には馴れて了つた處から別に醉ふやうな虞《うれひ》は無い。窓や戶へ帷幕《カーテン》を引き蒸氣《スチーム》の溫度で狹い船室の中を暖かにして、安樂椅子へ凭れながら外部《おもて》の暴風雨を聞いてゐると、却つてそれとも無しに冬の夜に於ける爐邊の愉快が思ひ出される。ハイカラの柳田君も同じ感情に誘はれたのであらう、ウヰスキーの洋盞《さかづき》を下に置いて、 「ねえ、君。自分の身體が安全だと云ふ事を信じて居ると、外を吹いて居る暴風雨《ストーム》と云ふものは、何となしに趣味のあるやうに聞えるですな。」 「眞實、これが大船に乗つた心持と云ふのでせうな。然し若しか、帆前船見たやうなものだつたら、如何でせう。隨分難船しないとも云へませんぜ。」と岸本君は眞面目らしく云つた。 「何事に寄らず皆な然うですよ。一方で愉快を感ずるものがあれば、其の爲めに一方では屹度苦痛を感ずるものが起るです。火事なんぞは燒かれるものこそ災難だが、外のものには三國一の見物だからね。」とウヰスキーの醉が廻つたのか、私は何か分らぬ屁理窟を云ふと、 「眞理だよ、實際眞理だよ。」と柳田君は深くも何か感じたらしい樣子になつて、「君の比喩に從ふと、僕なんぞは正に燒出された方の組なんだな。燒出されて亞米利加三界へ逃げ出すんだ。僕は實際去年日本へ歸つたばかりなんだ、行李《トランク》を開けるか開けない中、又候《またぞろ》海外へ行かうなぞとは、全く自分でも意外な心持がするです。」 私も岸本君もとも〴〵熱心に柳田君が今回の渡米に付いての抱負を質問した。鳥渡した話にも柳田君は必ず大陸の文明島國の狹小と云ふ事を口癖のやうにしてゐるので、定めし大抱負を持つて居る事と想像したからである。 「はゝゝは。其樣抱負なぞと云ふ大したものは無いです。しかし[#「しかし」に傍点]……」と濃くない髯を拈《ひね》つて柳田君は自家の經歷を述べ始めた。 彼は最初或學校を卒業した後、直樣會社員となつて、意氣揚々と濠洲の地へ赴いたのである。そして久振に故鄉の日本へ歸つて來たが、満々たる胸中の得意と云ふものは、最初出立した時の比ではない。舊友の歡迎會を始めとして、彼は到る所逢ふ人每に大陸の文明と世界の商況とを說き且つ賞讃した。豆粒のやうな小な島國の社會は必ず自分を重く用ひてくれるに違ひ無いと深く信じて疑はなかつた。處が事實は本社詰めの飜譯掛にされて了つて、其の月給幾何かと問へば、本位《ほんゐ》の低い日本銀貨の僅か四十圓と云ふのであつた。然し彼はよく〳〵日本の事情を考へて、先づ默して此れを受取つたものゝ、胸中には絕えず不平が蟠《わだかま》り易い。で、此の不平を慰むべく、彼は軈て才色優れた貴族の令孃をでも妻にしやうと、大に此の方面へ運動しはじめた。心中では洋行歸り―――と云ふ此の呼聲が確に世の娘や母親の心を惹くであらうと信じたが事實は增々反對して來る。彼が目掛けた或子爵の令孃と云ふのは彼が最も冷笑する島國の大學卒業生と結婚して了つた。彼は二度まで得意の鼻を折られたばかりでは無く、今度は確に遣瀨なき失戀の打擊をも蒙つたのだ。 然し柳田君は猶全く絕望して了ひはせぬ。苦痛の反動として以前よりも一層過激に島國の天地を罵倒し始めた。そして再び海外へ旅の愉快を試みやうと決心したのである。 「日本なんかに居つたら、到底心の底から快哉を呼ぶやうな事アありやせんからね。丁度|好鹽梅《いゝあんばい》に橫濱の生糸商で亞米利加へ視察に行つてくれと云ふものがあるから、此れ幸ひに依賴されて出掛けて來たです。事業《ビジネス》と云ふ事に付いちや、如何しても海外へ行かなければいかんですからね。僕は同胞諸君が渡米されるのを見ると、實際嬉しく思ふです。」と洋盞《さかづき》を取つて咽喉を潤したが、身體の方向《むき》を一轉させて、「岸本君。君は米國《あつち》に行つてから學校へ這入るとか云はれたですね。」 「さうです。」と岸本君は和服の襟を引合せた。 「大學へでも這入られるですか。」 「さ。其の心算ですが、今の處ぢや全で語學が出來ませんし、未だ事情も分らんですからな………」 「柳田君。岸本君は細君や子供までを殘して學問に出て來られたのださうです。」と私が云ひ添へると、柳田君は身體を前へ進ませながら、 「岸本君。君はもうお子樣があるんですか。」 「えゝ。」とばかり岸本君は稍其の頰を赤らめた。 「其れぢや、非常な大決心を以つて出て來られたのですな。」 「まア、此れまでにして、出て來るには隨分奮發したつもりなんです。親類なぞには激《きび》しく止るものも有りました。」と今度は岸本君が語る可き順序となつた。 此の人は矢張東京の或會社に雇はれて居たが、將來に出世する見込のないばかりか、何時も人の後に蹴落されてのみ居た、と云ふのは、畢竟《ひつきやう》何處の學校をも卒業した事がない。乃《すなは》ち肩書と云ふものを有つてゐない其の爲めであると、つく〴〵考へ始めた折から、今度社内の改革に遇つて解雇される事となつた。けれども幸ひ其の細君の身には尠からぬ財產が付いて居たので、普通の人の遭遇するやうな憂目を見ずに濟んだのである。否、其の細君は寧ろ好い折であると云ふ樣に、此樣喧しい東京に居るよりか、自分の身に付いて居る財產で何處か靜な田舎へ行き可愛い子供の三人暮しで安樂に暮した方がと云出した。 けれども、岸本君は此の優しい妻の語に從ふどころでは無い。細君が其の亡父から讓られた財產で、自分は出來る事なら一年なり二年なり米國へ行つて學問して來たいと相談し掛けた。すると細君は決して金を惜む爲めでは無く、唯だ〳〵愛する夫に別れるのが可厭《いや》さに堅く其れには反對したのである。無理な出世なぞはしてくれなくてもよい。書生上りの學士さんに先を越されても少しも耻る事は無い。人は其の力相應の働きをして平和に其の日が送れさへすればよいでは無いかと云ふのが細君の意見であつたが、是非飽くまでもと云ふ夫の決心に到頭細君も淚ながらに岸本君を萬里の異鄉に出立させる事になつたと云ふのである。 「ですから、私の考へでは成りたけ時間を短くして何なり學校の免狀を持つて歸りたいと思つて居るです。卒業免狀が妻へ見せる一番の土產なんですから。」 云ひ了つて、岸本君は自ら勇氣を勵ます爲めか、苦味《にが》さうな顏をしながらも、グツと一口ウヰスキーを飮干した。 「うむ。全くお察し申すです。然し其れと共に僕は満腔の熱情を以て君の莊擧を祝するです。」と柳田君は續いてコツプを上げたが又調子を變へて、「然し、何かにつけて思ひ出しなさるでせうな。僕は未だ細君の味は知らないですがね。」 「はゝゝは。もう此處まで踏出して其樣意氣地のない事が………はゝゝは。」と殊更に笑つたが其の樣子は如何にも苦し氣に見受けられた。 カン〳〵と折から又もや鐘を打つ音が聞えた。硝子戶一枚で僅に境されてある船窓《まど》の外には依然として波と風とが荒れ廻つて居たが、閉切つた船房《へや》の中は酒の香氣《かをり》と煙草の煙にもう暖か過る程になつて居る。いつか談話にも疲れ掛けた私逹は船房中に輝き渡る電燈の光を今更の樣に眺め廻した。柳田君は軈て思出したやうに時計を引出して、 「もう十一時だ。」 「さうですか。大變お邪魔をしました。其れぢやアそろ〳〵お暇しませう。」と岸本君が先に座を立つた。 「まア可いぢやありませんか。」 「有難う。今夜はお庇《かげ》で非常に愉快だつたです。明日も又|恁《か》う云ふ風に送りたいですな。其れぢや………。」と戶を開けて「グツドナイト。」と柳田君は何か分らぬ英詩を口の中で唱ひながら早や己が船房の方へと、次第に其の跫音を遠くさせると、隣りの室では同じく歸り去つた岸本君が淋しい寢床に其の身を橫へるのであらう、ベツドの帳帷《カーテン》を引き寄せる音が幽に聞えた。 (明治卅六年十一月)
牧場の道
タコマに滯在して居た時分、その年も十月の確か最終の土曜日であつた。 秋は早や暮れ行くので、往來の兩側に植ゑられた楓《メープル》の並木を初め公園や人家の庭に、一夏の涼しい蔭を作つた樹木と云ふ樹木は、昨夜の深い霧で大槪は落葉して了つた。このタコマのみならず米國の太平洋沿岸はもう一週間を過ぎずして、所謂《いはゆる》悲しい十一月《ノーベンバー》の時節となつたならば、每日霧と雨とに閉されて來年の五月になるまで、殆ど晴れた空を見る事は出來ない。今日の晴天は恐らく今年の靑空の見納めであらうと云ふ。私は此の地の風土や事情に通じて居る或友に勸められて、とも〴〵此の一日を晚秋の曠野《プレヤリー》に自轉車を馳《はし》らせる事にした。 タコマ大通《アベニユー》と云ふ山の手の一本道を東へと走る。この一本道から眺望するとタコマの市街はビユーゼツトサウンドと呼ぶ出入の激しい内海に臨んで著しい傾斜をなして居る處から、無數の屋根と煙筒、廣い埋立地、波止場、幾艘の碇泊船、北太平洋會社の鐵道――全市街は唯の一目に瞰《みおろ》されて了ふ。而して入江を隔てた連山の上には日本人がタコマ富士と呼ぶレニヤー山が雪を戴き巍然《ぎぜん》として聳え、夜明の晚い北方の朝日がちやうどその半面を眞紅の色に染めて居る。私等二人は街端の大きな渓《たに》の上に架けてある橋を二ツばかり渡り、特別に造られた廣い自轉車道を四|哩《まいる》ばかり馳《はし》つて、南タコマと呼ぶ村落を通り過ぎると、直に廣漠たる野原に出た。道の通ずる儘に或ひは上り或ひは下る事恰も波に搖られる船の如く、遂に行き盡して檞《オーク》の林に這入つた。道は稍險しくなり、此の地方、殊にワシントン州の各所に黑い深い森林を造つて居る眞直な黑松は檞の林に引續いて此處にも忽ち私等の行手を遮つた。私等は漸くに苔むす一條の小道を見出し、その導くが儘に、林間の湖水アメリカンレーキの畔《ほとり》に休み、更に轉じてスチルカムと呼ぶ海岸の孤村を訪うたのである。 「歸り道に此の山の上の癲狂院《てんきやうゐん》を案内しやう。ワシントン州の州立《ステート》癲狂院《アサイラム》だから、此の邊では一寸有名だよ。」 此の時友は恁《か》う云つたので、私は彼の後に續いて後の丘陵へ上ると、遠くの彼方には氣も晴々する牧場を望み、近くは幽邃《いうすゐ》な林を前にして、宏莊な煉瓦造の建物が、直ぐ樣其れと知られるのであつた。 白いペンキ塗の低い垣で境された廣い構内は、人の步む道だけを殘して、一面に靑々とした芝生が其の上に植ゑられた枝の細い樹木や色々な草花と相對して目も覺めるばかり鮮明《あざやか》な色彩を示して居る。裏手の方には宏大な硝子張の溫室の屋根が見え、小徑の所々には腰掛《ベンチ》、廣場の木蔭には腰掛付の鞦韆《ぶらんこ》なぞも出來て居たが、見渡す限り深閑として人の氣色《けはひ》も無い。 私等は鐵の門前を過ぎる一條の砂道をばゆる〳〵と自轉車を進ませ、もと來た牧場の方へと下りて行つた。友は色々說明したついでに、 「この癲狂院には日本人も二三人收容されて居るよ。」 何事もないやうに云つたが、私には此れが非常な事件である樣に思はれた………同時に友は、 「皆な出稼ぎの勞働者さ。」と付加へた。 出稼ぎの勞働者と云ふ一語は又しても私の心を動さずには居ない。思返すまでも無く、過る年故鄉を去つて此の國に向ふ航海中、散步の上甲板から、彼等勞働者の一群を見て、私は如何なる感想に打れたらう。 彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱はれ狹い汚い船底に満載せられてゐた。天氣の好い折を見計つて彼等はむく〳〵[#「むく〳〵」に傍点]甲板へ上つて來て茫々たる空と水とを眺める、と云つて心弱い我等の如く別に感慨に打るゝ樣子もない。三人四人、五人六人と一緖になつて、何やら高聲に話し合つて居る中、日本から持つて來た煙管で煙草をのみ、吸殻を甲板へ捨て、通り過ぎる船員に叱責せられるかと思ふと、やがて月の夜なぞには、各自《めい〳〵》の生國《しやうごく》を知らせる地方の流行《はやり》唄を歌ひ出す。私は彼等の中に聲自慢らしい白髮の老人の交つて居た事を忘れない。 彼等は外國で三年の辛苦をすれば國へ歸つてから一生樂に暮せるものとのみ思込んで、先祖が產れて而して土になつた畠を去り、伊太利《いたりや》の空よりも更に美しい東の空に別れ、移民法だの健康診斷だのと、いろ〳〵な名目の下に行はれる幾多の屈辱を甘受して、此の新大陸へ渡つて來るのである。然しこの世は世界の何處へ行かうとも皆な同じ苦役の場所である。彼等の中の幾人が其の望みを逹し得るのであらうと、色々悲しい空想の湧起るにつれて、私の目には今まで平和と靜安の限りを示して居た行手の牧場は、忽ち變じて云はん方なき寂寥を感ぜしめ、松の森林は暗澹として奧深く、恐怖と祕密の隱家である樣に思はれた。 友はとある木蔭に車をよせて休息するのを幸ひ、私は近寄つて、 「君は知つて居るかね。どうして狂氣なぞに成つたのだらう。」 「あの………勞働者のことかね。」と友は暫くした後初めてその意を得たものゝ如く、「大槪は先づ失望と云ふ奴が原因になるんだが、一人はそればかりぢや無い………實に可哀想な話さ。然しさう云つたやうな話はアメリカには珍らしく無いよ。」 「どう云ふ話だ。」 「僕も人から聞いた話なんだが………いくら日本人の社會が無法律だつたからツて、此れなんぞは隨分激しいと云つていゝね。もう六七年前の事だつて云ふ話だが………」と友は衣嚢《かくし》から煙草の袋を取出し指先で巧に卷煙草を作りながら話した。 その頃には丁度シアトルやタコマへ日本人が頻と移住し始めた當時のことで、今日のやうに萬事が整頓して居ないから、種々の罪惡が殆ど公然に行はれて居た。カリフオルニヤの方から彷徨つて來た無賴漢や、何處の海から流れて來たのか出所《しゆつしよ》の知れない水夫あがりの親方なぞ、少しく古參の滯米者は、爭つて案内知らぬ新渡米者の生血を吸つたものだ。此う云ふ危險な惡所へと彼―――發狂者の一人は其の妻と二人連で日本から出稼に來たのである。 一體日本の農夫が渡米の野心を起す最大の原因は新歸朝者の誇大な話を聞く事であるが、彼も正しく其の中の一人であつた。彼は蕎麥の花咲く紀州の野に住んで居たが丁度その村へ十五年目で布哇《ハワイ》島《たう》から歸つて來た男があつて、アメリカと云へば金のなる木が何處にも生えて居るやうな話をする處から、ふいと未だ見ぬ極樂へ行く氣になり、殊に女の勞働賃錢は男よりもよいと云ふ樣なことから到頭夫婦連の渡米が實行される事になつたのである。シアトルと云ふ其の地名さへ發音するには舌が廻らぬ程な不知案内の土地へ上陸する。と波止場の上には船の着くのを待つてゐる勞働口の周旋屋、宿屋の宿引、醜業婦密輸入者なぞ云ふ、何れも人並よりは銳い眼を持つて居る輩《てあひ》が、それ〴〵腕一杯の力を振つて各自の網の中へ獲物をつかみ入れる。彼等夫婦は宿屋の案内と稱する一人の男に連れられて、大きな荷馬車と人相の惡い亞米利加の勞働者が彼方此方にごろごろして居る汚い町から、唯《と》ある路地に入り、暗い戶口を押明けて、狹い階子段を上るのでは無く、地の下へと下り、薄暗い一室に誘はれた。 此處で過分な周旋料を拂はせられた後妻は市中の洗濯屋に働き男は市からは十哩ばかり離れた山林の木伐《きこり》に雇はれる事となり、晝も猶薄暗い林の中の一軒家に送り込まれた。此處には三人の日本人が同じく木伐となつて寢起して居たが、其の中の親方らしい一人が、「知らねえ國へ來たらお互が賴りだ。此れからは皆な兄弟のやうにして働かうよ。」と云ふので、彼も殊の外安心して、每日仲間と共に西洋人の親方に監督《ボツス》されながら、一心に働いて居た。 仕事から歸つて來ると、寂しい此の小屋の中で、新參の彼は三人の仲間から問はれる儘に色々と身上話をする………と親方らしい一番强さうな男が眼をぎら〳〵さして、 「嚊アをシアトルへ置いて來たツて………まア何て云ふ不用心な事をしたもんだ。」と如何にも驚いたやうに、大聲で他の仲間を見廻した。 「だつてお前さん、此の國へ來たからにや稼ぐのが目的だから、嚊と別れて居る位な事は覺悟の上だア。」と新參の彼は然し悲しさうな調子で云ふと、彼男は續いて、 「乃公の云ふのは然うぢや無え。それアお前さんの云ふ通り稼ぎに來たからにや其れ位の覺悟は無くちやならねえが、女一人をシアトルへ置くなア、川邊《かはツぷち》へ小兒を遊ばしとくよりも險呑《けんのん》だと云ふのさ。」 「へーえ。どうして。」 「お前さん、まだ來たてだから知らねえのも無理は無え。シアトルてえ處は………シアトルばかりにや限らねえ、此のアメリカへ來た日にア、何處へ行つたつて女一人を安隱にさしとく處はありやアしねえ。まア瑕《きず》をつける位ならまだしもだ。お前さん、惡くするともう二度と嚊の顏は見られねえぜ。」 「全くさね。用心するがいゝよ。」と他の一人が付加へた。以前の男は暫く無言で、泣き出しさうな顏をして居る新參者の様子をば上目でぢろ〳〵見遣つて居たが、大きなパイプで煙草を一吹しながら、 「この國へ來たら、何樣尼ツちよ[#「尼ツちよ」に傍点]でも、女と云ふ女は皆な生きた千兩箱だ……千兩ぢや無え千弗箱だ。だから嬪夫《ぴんぷ》てえ女衒《ぜげん》商賣《しやうばい》をして居る奴が、鵜《う》の目鷹の目で女を捜してゐるんだが、時にや隨分無慈悲な仕事をするよ。此れア眞實《まつたく》の話だぜ。夫婦連で往來を步いてゐる處を、いきなり後から行つて亭主を撲り倒して女房を搔攫《かつさら》つてそれなり雲隱れをしちまつた。此の廣いアメリカだものもう分るものか。一晚の中に何處か遠い處へ行つて女郞に賣れア、千弗は濡手で粟だ。お前さん、惡い事は云はねえ。早くどうかしないと飛んでもねえ事になるぜ。」 新參の彼は眼に淚を浮べて居た。と云ふものゝ今の身分では如何する事もできない。以前の男は他の仲間二人と暫く顏を見合して何やら互に合點したやうに目と目で頷付き合ひながら、 「此うしたら如何だね。一|層《そ》の事、此處へ嚊を呼び寄せたら………。」 「何ぼ何だつて、其樣事が………。」 「出來ねえと云ふのかね。其れア表向は何うか知らねえが、此の山の中の一軒家で、日本人は乃公《おいら》逹三人きりだ。心配する事はねえ。此處へつれて來りやア、お前も每日女房の顏が見られるし、乃公逹だつて煮焚《にたき》や洗濯もして貰へるし、食ふものだつて、乃公逹四人で分けてやりあア、女の一人位大した事はありやしねえ。」 恁う云はれたが、然し彼は此の意見に對して同意する力も無ければ、又不同意を稱《とな》へる資格もないのである。萬事は直ぐ樣彼男の云ふが儘になつた。乃ち次の日に、彼は彼男と共に市中《まち》に出て妻を連れて林の中の小屋に歸つて來たのである。 暫時は事もなく、彼は幸福に妻と共に其の日を送つて居たが、丁度今日は日曜日と云ふのに朝から雨が降出し、一同は外へ遊びにも出られず、一日小屋の中で酒盛りを始めて、飮むやら唄ふやら、何時しか夜も晚くなつた。最う寢床へ行かうと云ふ時になると、彼男は座を立ちかけた新參者をば、 「おい、鳥渡相談があるんだ。」と呼び止めて他の仲間と目を見合せた。 小屋を蔽ふ森林《しんりん》は雨と風とで物凄い呻り聲を立てゝ居る。 「何です。」 「鳥渡お願ひがあるんだ。」 「何です。」 「外でも無い。今夜一晚嚊を貸して貰ひてえんだが………。」 「はゝゝゝは、大變醉ツてるね。」 「おい。醉つて云ふんぢやねえ。冗談でも無い、洒落でもない。相談するんだが、どうだい。」 「はゝゝゝは。」と新參者は餘儀なさゝうに笑つた。 「相談するのに笑ふてえ奴があるかい。」と今度は他の一人が「どうだい、兄弟の誼《よしみ》だ。今夜一晚乃公逹三人に貸して呉れめえか。」 「…………………」 「物は相談だ。どうだい。不承知なんかね。不承知ならまアいゝや。然し能く考へて見な。此の山ン中で、四人此うして働いて居てよ。お前一人好い目をして居るからつて、其れでお前は氣が濟むのか。能くある事ツた、風の吹く晚に山火事が起つたら、乃公逹四人は死なば一緖だ―――一人ぼツち仲間を置き去りにして逃げる譯にも行くめえ。本部からまかり間違つて食料が屆かない事でも有りやアお互に食ふものも半分づゝ分けなきやアなるめえ。人間は皆な兄弟分。自分ばかりが好きやア其れで好いと云ふもんぢや無えんだぜ。乃公逹はな、此のアメリカへ來てからもう五年になるんだが、たまに一遍だつて柔かい手に觸つて見た事もねえんだ。お前の寶物は誰のものでも無え、チヤンとお前樣の物だと云ふ事は分つて居らア。だからな、乃公逹はそれを無理無體に掠奪《ふんだく》ツて乃公逹のものにして了はうと云ふんぢやねえんだ。可いか、唯だ貸して貰はうとお願ひ申すんだ。」 「早い話しがよ。お前は乃公逹の持つて居ねえものを持つて居るから、それを分けてくれと云ふのよ。」 「どうだい。話が分つたら、早く返事を聞かうぢや無えか。」 男は死んだ人の如く眞靑になり總身をぶる〳〵顫すばかり。女はその足許に泣き倒れて早や救を呼ぶ力さへ無い。 風雨は猶盛に人なき深山の中に吠狂ふ。やがて小屋の中には一聲女の悲鳴。……それを聞くと共に男は失心して其の場に倒れて了つた。 彼は蘇生したが、それなり氣が狂つて再び元の人間には立返らなかつた、彼は癲狂院《アサイラム》に收容さるゝ身となつたのである。 **** 私は殆ど茫然として了つた。友は早や草の上に橫へた自轉車を引起し、片足をペダルに掛けながら、 「然し仕方がないさね、然う云ふ運命に遇つたのが不幸と云ふより仕樣がないさね。我々は自分より强いものに出遇つたら、何をされても仕方がないよ。」と云つて二三間車を馳《はし》らせながら、後なる私の方を振り向き、「さうだらう、君。强いものには抵抗する事は出來ない。だから我々は Mighty God ……乃ち我々よりは强い全能の神に抵抗する事は出來ない。いやでも服從して居なければならないのだ。」 一人彼は愉快さうに笑つて、夕陽の光眩き牧場をば、一散に車の速度を早めたので、私は無言の儘彼に遲れまじと、頻にペダルを踏みしめた。 何處からともなく野飼の牛の頸につけた鈴の音が聞える。南の方ポートランド行の列車が野の端れを走つて居る。 (明治卅七年一月)
岡の上
一
最初この亞米利加へ來た當座、私は暫く語學の練習をする目的で、その時滞在して居た市俄古《シカゴ》の都會《まち》からはミスシツピーの河岸に沿うて凡そ百哩あまり、人口四千に満ちざる小さな田舎町に建てられた某《なにがし》と呼ぶ大學《カレツジ》へ辿つて行つた事がある。已に人も知つて居る通り、米國のカレツジと云へば大槪は同じ宗敎組織の私立學校で、誘惑の多い都會をば遠く離れた景色の好い田舎に建てられ、敎師は生徒と一緖に先づ理想的の純潔な宗敎生活を營んで居る。今私の辿つて行つた學校も其等の一つで、私は最初此う云ふ邊鄙《へんぴ》な土地へ來たならば、もう日本人には會ふ事もあるまいと思つて居た。處が意外にも、私は此に不思議な煩悶の生涯を送つて居る一人の日本人に邂逅したのである。 市俄古を出てから四時間ほど。何處を見ても眼の逹《とゞ》く限りは玉蜀黍《たうもろこし》の畠ばかり。茫々とした大平野の眞中に立つて居る小さな停車場へ着くや否や、私は汽車を下り、重い手鞄を下げながら、雞や子供が大勢遊んでゐる田舎街の一筋道を行盡して、小高い岡の上、繁つた樹木の間に在る學校を訪問れると、如何にも親切らしい老《としと》つた校長が、市俄古の西洋人から貰つて來た私の紹介狀をも見ぬ中に、もう極く親しい友逹同士であるかの如く顏中を皺にして笑ひながら、「好く尋ねてお出でなすつた。渡野《わたの》氏《し》はさぞ貴下を見て喜ぶ事であらう。何しろ彼の人は私共の處へお出でになつてから、丁度三年近く、一度も日本人にはお會ひなさらないのですから………。」 私は茫然として何の事か其の意を解し兼ねて居るにも關らず、老人は猶満面に笑を浮べて、 「ミスター渡野とは日本においでの時から御存じなのですか、又は米國《こちら》へ御出でになつてから御交際なすつたのですか。」 校長は私が日本人である處から、此の學校に居る同國人の渡野君を尋ねて來たものとのみ早合點して了つたので。然し此の誤解は直樣無邪氣な一場の笑ひとなり、私は續いてミスター渡野なる人に紹介された。 年は三十七八でもあらう。破れぬばかりに着古した縞の背廣に、色の褪せた黑い襟飾―――華美《はで》な市俄古の街なぞでは見られぬ位な質素《じみ》な風をして居たが、黑い光澤《つや》のある頭髮《かみのけ》を亞米利加風に長く生《のば》して金の鼻眼鏡を掛けた目鼻立、女にしたらばと思ふほど美しい。顏色は白いよりは少し蒼白い方で、その大きい眼の中には何處か神經過敏な事が現れて居た。 彼は校長が私に言つた言葉とは全然違つて、最初私を見ても別に嬉しいと云ふ色も見せず又意外だと驚く氣色もなく、無言で握手した後は殊更らしく天井を見て居た。恁《か》う云ふ風で私の方も彼に劣らず、極く人好きの惡い無愛想な性質である處から、私は唯彼が此の學校の哲學科で東洋思想史の硏究に關する資料蒐集の手助けをして居る傍、折々聖書硏究の講義室へ出席すると云ふの外は如何なる經歷を持つて居る人物だか、一向聞き知る機會が無かつた。 然し三月程經つた或る土曜日の午後である。私が此の地へ來たのはさほど寒くはない九月の末であつたから、其の頃には深綠の海をなした玉蜀黍の畠も今は暗澹たる灰色の空の下に一望遮るものなき曠野となつて居る。 午後の四時を過ぎたのみであるが太陽は早くも見渡す地平線下に沒し去り、灰色の空の間に低く一條の力なき紅色《くれなゐ》の光を殘すばかり。空氣は沈靜して骨々に浸渡る寒氣はしん〳〵と荒野の底から湧起つて來る。私は停車場内の郵便取扱所へ行つた歸途校舎に近い岡を上つて行くと、一株枯木の立つて居る此の岡の頂きに、悄然と立ちすくみ、云ふに云はれぬ悲痛な顏付をして、寒さに凍る荒野の端《はづれ》に消え去らんとする夕陽の影を見詰めて居る渡野君に出會つた。渡野君は私の姿を認めると唯一言、 「荒れ果てた景色ですなア。」とぢツと私の顏を見詰めた。 私は異樣な樣子に驚いて直には何とも答へられなかつた。渡野君は俯向いたが今度は獨言のやうに、 「人は墓畔《ぼはん》の夕暮を悲しいものだと云ふけれど、それは唯だ「死」を聯想させるばかりだが………見給へ此の景色を。荒野の夕暮は人生の悲哀生存の苦痛を思出させる………。」 其れなり無言で二人は靜に岡を下つた。彼は突然私を呼掛けて、 「一體、君は如何思つて居られる。人生の目的は快樂にあるか、或は又………。」と云ひ出したが、不意と自ら輕率な問を發した事を非常に恐れた如く銳い目で私の顏色を窺ひ、更に、「君は基督《キリスト》敎《けう》の神を信じて居られますか。」 私は信じやうとして未だ信ずる事が出來ない。然し信ずる事の出來た曉には、如何樣《どんな》に幸福であらうかと答へた。すると、渡野君は聲に力を入れて、 「懷疑派ですね。よろしい〳〵。」と腕を振動かしたが、軈て靜に、「君の懷疑說は如何云ふのだね。私も無論アメリカ人見たやうな信仰は持つて居ないのだから………一つ君の說を伺はうぢや無いか。」 此處で私は、遠慮無く私の宗敎觀や人生觀なぞを語つたが、すると、其れは不思議にも彼の感想と大に一致する處があつたのでもあらう。彼は生々させた目の色に非常な内心の歡喜《よろこび》を現し頻《しきり》と私の才能を賞讃して呉れた。 誰に限らず未知の二人が寄合つて、幾分なりとも互に思想の一致を見出した時ほど、愉快な事は恐らくあるまい。それと同時に又此れ程相互の感情を親密にさせるものも他にはあるまい。 それからと云ふもの、私等二人は朝夕相論じ相談ずる親しい友達になつたので、問はず語りに私は渡野君の經歷も先づ大槪は知る事が出來た。彼はある資產家の一人息子であつた。七年程前に洋行して、東部の大學で學位を取り、その後は暫く此れと云つて爲す事もなく紐育《ニユーヨーク》あたりに遊んで居つたが、或る會合の席で此の學校の校長と知己《ちかづき》になり、丁度學校で東洋の思想風俗なぞの硏究に關して、一人日本人が欲しいと云ふ處から、自分から望んで此の地へ來た。然し彼自身は其れ程深く東洋の學問は知つて居らぬ。辛うじて硏究の材料を蒐集する手助けをする位なもので、此地へ來た第一の目的は他でも無い、持前の懷疑思想を打破り、深い信仰の安心を得たい爲めに、殊更選んで邊鄙な田舎の宗敎生活に接近したのであるとの事。 彼は無論生活の爲めに職業を求むる必要がないとは云ふものゝ、此くも眞面目《しんめんもく》な煩悶の爲めに、已に學業を卒《を》へた後も、猶ほ故郷へは歸らず、獨り旅の空に日を送つてゐるのかと思つた時には、私は心の底から非常な尊敬の念を生ぜずには居られなかつた。
二
私はこの畏敬すべき友と寒い〳〵米國の一冬を甚だ平和に愉快に送過して、やがて四月といふ昇天祭《イースター》の其の日から、折々暖い日光に接するやうになり、程もなく待ち焦れた五月の訪問《おとづれ》を迎へる時となつた。冬の寒氣《さむさ》の忍び難いだけに、此の五月の空の如何に樂しいか。昨日までは全く見るに堪へぬ程寂しい不愉快な色をした平野の面も忽ち變じて一望限りなき若草の海となるので、其の柔かな綠の色を麗かな靑空の下に眺め見渡す心地は何に譬へやうか。 私は林檎の花咲く果樹園を彷徨《さまよ》ふやら、牧場に赴いて野飼の牛と共に柔かな馬肥草《クローバー》の上に橫臥《よこたは》るやら、或は小流れの邊《ほとり》に佇立《たゝず》んで、菫の花の香に醉ひながら野雲雀と共に歌ふなど、少くとも每日三哩以上を步まずには居なかつたであらう。富有な農家では每日の午後《ひるすぎ》を待兼ねるやうにして、馬車を馳らせて野遊《あそび》に出て行く。女や子供の笑ひ喜ぶ聲は到る處に聞えるのであつたが、此に唯一人、彼の渡野君ばかりは此の麗《うるは》しい春の來ると共に次第々々に陰鬱になり、遂には一度として私の誘出す散步に應じた事もなく、自分の居室にのみ引籠つてしまつた。 或夜のこと私はその居室に訪問れて、無理にも想像しかねるその原因を聞きたゞし、出來るものなら幾分か慰めても見やうと思つて、その室借をしてゐる下宿屋の門口まで行つて見たが、いざとなつて見ると何となく妙に氣怯《きおく》れがして了つた。事實私はまだ瞭然《はつきり》と渡野君の人物を解釋する事が出來ない。恰も英雄偉人に對する時吾々は尊崇の念に伴うて或る畏懼《ゐく》の念を生ずる如く、私は今だに渡野君に對しては何となく氣味惡い感じを取除ける事が出來なかつたので、其のまゝ步みを轉じて彼方此方と春の夜を來るともなしに去年の冬初めて渡野君と話をした岡の上に來た。 その時分には瘦衰へて居た一株の枯木にも、今は雪の樣な林檎の花が咲き亂れ、云ふに云はれぬ香氣《かをり》の中に私の身を包んだ。柔かな草の上に佇立み四邊を眺めると、此れこそは地球の表面であるといふやうな氣のする程廣々した大平野の上に、朦朧たる大きな月が一輪。所々の水溜りは其の薄い光を受けて幽暗な空の色を映して居る。後の學校では女生徒の樂み遊ぶ音樂が聞え、近くの田舎街には家々の窓に靜な燈火《ともしび》の光が見える。 魔術が作出したやうな夢とも思はるゝ異郷の春の夜。 私は忽ち恍惚として自分ながら解せられぬ優しい空想に陷つて居たが、突然後から肩を叩いて、「君」と一聲。思ひ掛けない渡野君である。彼は何か用あり氣に、「今、君の處をお尋ねした。」 「私の處を………。」と私は彼が室の戶口を叩き兼ねた事は云はずに了つた。 「實は急にお話したい事がある。それで君の處へ出掛けたのですが………。」 「何です、何樣事です。」 「まア此處へ坐らうぢやありませんか………。」と彼は私よりも先に林檎の花の下に坐つたが、暫くは無言で。大方私と同じく、大平野を蔽ふ春の夜の神祕に打たれたのであらう。然し忽ち我に返つた如く、私の方に向直つて、 「私は二三日中に君とお別れするかも知れない。」 「え。何處へかお出でになるんですか。」 「もう一度紐育へ行つて見やうと思ふです。或は歐羅巴《ヨーロツパ》へ行つて見るかも分らん………兎に角この地を去る事に決心しました。」 「何か急用で………。」 「いや、私の事だもの別に用は無い。只感ずる處があつたから………。」と云つたが力ない語調《てうし》であつた。 「何をお感じなすつたのです。」と質問すると彼は一寸息をついて、「それを今夜君にお話したいと思つたのです。君との交際は未だ半年になるかならないが、何となく十年もお交際したやうな心持がするのです。だから、私は萬事殘らずお話して、そしてお別れしたいと決心したのです。然し又何處かでお會ひ申すでせう。君も此れからアメリカを漫遊なさると云ふのだから。」淋しく微笑んだ後彼は靜に語り出した。
三
日本の大學を卒業してから間もなく私は父親に別れてその儘家產を讓受けたので、此の財力と新學士と云ふ名前とで、此後は自分の思ふ儘の方向に世を渡る事のできる頗る幸福な身分となつたのです。私の修めた學科は文學でしたから私は自分の周圍に集つて來る多くの友人の勸告する儘に一つの會を組織し、人生と社會問題の考究を目的に立派な月刊雜誌を發行する事とした。 兎に角私の名前は已に學生の時代から、折々投稿して居た雜誌新聞なぞの所說で多少一部の人には知られて居たので、今や父から讓られた資產を後盾にして堂々と世の中へ押出した景氣は先づ大したものでした。私の代表した團體は今度始めて世間へ出た若手の學士ばかりで組織されたのですが、其の機關雜誌は廣吿を出したばかりで、未だ初號を發行せぬ以前から、もう世間一二の有力な雜誌の中へ數へられて居ました。私の周圍には無論|阿諛《あゆ》を呈する輩《ともがら》もあるので、此の當時私は全く自分に對する讃辭より以外には、殆ど何にも聞く事が出來ない程でした。 その時私は年齢二十七、まだ獨身でした、虛言《うそ》か誠か、某伯爵の令孃は私の演說する樣子を見てから戀煩ひをして居るとか、或は何處とかの女學校では私の人物評論から女生徒の間に一場の紛擾《ふんぜう》を起した抔云ふ噂も耳にしました。否現に一二通の艶かしい手紙さへ受取つて居たのです。 で、私は兎に角自分の持つて居る或力が、異性の心情に對して、微妙な作用を爲すものだと云ふ事を自覺せずには居られなくなつた―――自覺すると同時に何とも云へぬ愉快を感じたのです。そして其の愉快は自分の主義と自分の人格が、世間から重く迎へられて居ると云ふ事を自覺した時よりも、更に深い快感であつた。何と云ふ事でせう。私は如何に自分を辯護しやうとしても致し方がない。其の一瞬間、其の一刹那に、私の情が然う感じたのですから。 私は彼樣《かやう》に深い愉快を感ずると、其れに續いて、直樣此の快樂を出來るだけ進ませて見たいものだと思つた。すると心の中で、「早く結婚しては不可い。男の側から世に此上の美人は無いと云ふ位な人の妻と、其れ程ではない處女《むすめ》とを比較べて見て、何れがより[#「より」に傍点]强い空想を起させるか。男の魔力も其れと同じ事だ。」と云ふ樣な聲を聞いたのです。 私はもう此の聲の奴隷です。出來るだけ自分の姿を綺麗にして、朝《あした》には秋波《しうは》の光と微笑の影に醉ひ、夕となれば燈火きらめく邊に美人の歌を聞き、何時か二三年の月日を夢のやうに送つて了ひました。 然し或日の事、私は東京の人目を避ける爲めに、或る閑静《しめやか》な海邊の小樓に美人三人までを連れて遊びに行つて居たが、それは丁度冬の夕暮で、午後の轉寐《うたゝね》から不圖眼を覺して見ると、私の最も愛して居た美人が唯一人、私の爲めに膝枕を爲せた儘、後の壁に頭を凭《よ》せ掛けてうと〳〵と睡つてゐるばかり、他の二人は何處へ行つたのやら、室中は薄暗く、戶外の方では寛漫《だる》い潮の聲が遠く聞えるばかりです。 私は其の儘再び目を閉ぢたが、考へると今頃此樣處で私が此樣有樣をして居るとは世の中に誰が知つて居やう。世の中は唯だ潔白なる論客として自分のある事を知つてゐるのみだ。さう考へ出すと私は可厭《いや》な切ない感じに迫められた。尤も此れは今始めて氣が付いたと云ふのでは無いのです。最初から私は此種の快樂を決して賞讃若しくは奬勵すべき善行ともしてゐませんし、又、慈善事業の廣吿のやうに公然《おほびら》に發表すべき性質のものともして居ません。即ち極めて祕密にすべきものとして、今日まで巧に世間の耳目を糊塗《こと》して居たのです。此の後とても祕密にして行く事は容易です。今の世の中に此位の祕密が保つて行けないやうでは殆ど何事も爲す事は出來ますまい。私は此點から云へば確に自ら才子と稱しても差支は無いでせう。然し私の今感じたのは若しや私が此う云ふ祕密を持たず、云はば靑天白日の身であつたら如何であらう。世間が想像する通りの淸い身の上になる事が出來たら愉快であらうか、不愉快であらうか。無論私は愉快であると決斷したです。何故ですか。祕密は一つの係累も同じ事で、云はゞ荷厄介な物ですからね。 こゝで私はいよ〳〵悔悟の時期に入る事となり、此後は斷じて俗世界の快樂には近寄るまいと決心した。同時に一日も早く獨身生活の危險を避け、自分の決心を斷行する助けともなるやうな神聖なそして賢明な妻を持たうと云ふ心を起したのです。
四